2011年8月14日日曜日

西安旅行記~part3・後篇

さてさて、五丈原ツアー旅日記と参りたいと思いますです。


まず資料館には、劉備没後の孔明の活躍が記された資料がありましたね。
南中平定から五丈原の戦いまでの流れが詳しく書き込まれていました。
そして、資料の他にも、孔明の周りにいた人物の像がありましたね。
そのうちの一人がこの孔明の妻・黄月英(こうげつえい)です。


月英は、孔明の師である黄承彦(こうしょうげん)という人物の娘で、かなりの才女だったらしく、父・承彦は、妻となる女性を探していた孔明に「月英の才知は君とお似合いではないか?」と勧めたとか…。
ちなみに、月英は実は西域から来た渡来人で、承彦とは養子養父の間柄という説もあるとか…。

他にも、北伐で孔明を支え、活躍した武将達の像もありましたね。
関羽の次男・関興(かんこう)、張飛の長男・張苞(ちょうほう)、孔明から最も信頼されていた武将・馬謖(ばしょく)、孔明の智略と人望に惚れた"麒麟児(きりんじ)"と謳われた元魏の優将・姜維(きょうい)
ここであの北伐で名の知れた武将の名を聞く事が出来るとは…感激でした。
また、孔明の墓らしき物もありましたね。
ですが、ガイドさんの話では、その墓は本物ではなく、孔明の葬儀は蜀の都・成都(せいと)で行われ、墓もそこにあるという説があるとか…。
孔明が自分の墓を望まなかったという説もありますがね…。

 そして、ツアーが終了し、帰る途中で小さな店によって、昼食をとりました。
何でも、ガイドさんのお気に入りのお店なんだとか…。
そして、そこは辛い料理が名物なんだそうですよ。


特に麺料理にはかなりの拘りがありましたね~。
坦々麺とか全然比べ物にならないくらいスンゴイ辛いんです!
特に麺そのものにもこだわりがあって、中にはホウレン草を混ぜ込んだのもありましたねぇ…。


 そして、ホテルに戻り、夕食はホテルの中で済ませましたね。
軽い食事のつもりだったんですが……味も料理本格的でした!


ちなみに炒飯と一緒に出たスープは、鳥骨鶏(うこっけい)のスープなんだそうです。
その肉は、形とかは普通の鶏肉なんですが……何とまぁ色が真っ黒なんですね。
しかし、色の割に以外と美味いんですよ。
しかも、スープとかはコラーゲンたっぷりで、スープにしみ込んだ味が何とも言えず…♪
そんなこんなで、3日目は無事に終了したワケです。

 さて、お次は孔明の活躍の後篇の解説を…。
孔明は北伐で三群を落とすと、魏から派遣された司馬懿の迎撃に備えます。
そして、孔明は要衝である街亭(がいてい)に馬謖、そしてその補佐役に王平(おうへい)を向かわせます。
しかし、馬謖は己を慢心し、孔明の考えた策に背いて、それを注意した王平の忠告も聞かず、魏軍を攻撃しようとします。
その結果、馬謖は惨敗し、軍法に従い斬罪となってしまいました。

結局、街亭は魏の手に落ちて魏攻略の足場を失い、蜀軍は撤退する羽目となってしまいます。
その後も、長年に渡って北伐は続き、その間に孔明の身体も病によって蝕まれていきます。
しかし、孔明は病に侵された身体をひきずり、姜維を補佐役に、最期の北伐に挑みます。
決戦の地は五丈原、敵の総大将は司馬懿。
しかし、その戦いの間に、とうとう孔明の命数は尽きてしまいます。
その報せを聞いた司馬懿は、蜀軍に総攻撃を仕掛けようとしますが、目の前に蜀軍が待ち受け、その中心には死んだ筈の孔明の姿があったのです。
「死んだというのは孔明の策か!?」と思った司馬懿は、軍を撤退させます。

しかし実は、孔明の死は事実で、魏軍の見た孔明は、孔明が死ぬ直前に造らせた人形だったのです。
そして、それを知った司馬懿は、死して尚智略に優れた孔明を恐れたそうです。

2011年8月13日土曜日

西安旅行記~part3・前篇

3日目は、ちょっとしあツアーへと行きました。
日本語の上手なガイドさんのおかげもあり、存分に楽しめました。
その言った場所と言うのは……私のハマっている"三国志"でも有名な、あの五丈原(ごじょうげん)です!
中国=三国志という事で、その時代に縁のある場所はないかと思ってましたが…まさか…あの"伏竜"と謳われた稀代の名軍師・諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)の最期の舞台とも言える五丈原へ行けるとは…!

 朝飯の後、ホテルを出て車で行くんですが…国道で大事故があったらしく、車の大行列が…。
途中で車を長時間止めるハメになってしまいました。
ですが、運転手さんがとあるテク&近道で予定よりも早く五丈原に到着しました。
そしてまず門を潜るとですね、武将の馬岱(ばたい)と魏延(ぎえん)の像がお出迎えです。
そこの資料館には、孔明の誕生から病没までの出来事が書かれた資料が展示されておりました。
孔明の幼少時代、劉備との出会いの原因となった三顧の礼、孫呉の大都督・周瑜(しゅうゆ)と共に活躍した赤壁の戦い、南蛮平定といった詳しい詳細がありました。

当然漢文でしたが、分かりやすい絵とガイドさんの説明もあって、どの様な書かれていたか、とてもよく分かりました。
三国志マニアの私でも知らなかった部分もいくつかあり、もう一度読み直してみようと思いましたね。
どの様なモノがあったかの詳細は…後日、説明したいと思います。

さて…ここで、劉備没後の孔明の活躍の前篇を解説したいと思います。

 章武3年4月24日、蜀漢皇帝・劉備(りゅうび)の没後、その帝位はその子・劉禅(りゅうぜん)が継ぎ、孔明はそれを補佐する丞相(じょうしょう)となります。
孔明は曹魏との戦いに備え、一度は破られた孫呉との同盟を復活させました。
呉は一度、共に打倒曹操を誓った蜀との同盟を一方的に破棄し、劉備の義弟・関羽(かんう)張飛(ちょうひ)に死を齎しました。
呉の知将・呂蒙(りょもう)陸遜(りくそん)の策略により、荊州(けいしゅう)を守っていた関羽はそこを奪われ、麦城(ばくじょう)に逃げ込み、再びやって来た呂蒙の軍を迎え撃ちますが、とうとう討たれてしまいます。
そして、関羽の弔い合戦に燃える張飛も、生来の酒癖の悪さと短気が災いし、恨みを持った部下に暗殺されてしまうのでした。

その呉との同盟を復活させた後、兼ねてより反乱の気配のあった南中(なんちゅう)の平定へと乗り出します。
孔明は自ら軍を率いて南征し、七度の戦いで南中王・孟獲(もうかく)を心服させる事に成功します。
その後、孔明は三軍を率いて、いよいよ北伐へと乗り出します。
蜀軍は漢中(かんちゅう)から北上し、南安(なんあん)、天水(てんすい)、安定(あんてい)の三群へと向かい、そこを制圧し、更にその天水では、魏に仕えていた知勇兼備の将・姜維(きょうい)を味方に加える事に成功します。
焦った魏軍は、軍師・司馬懿(しばい)に命令を下し、蜀軍の迎撃に備えさせます。
そこからいよいよ、五丈原の戦いが始まるのです……。

西安旅行記~part2

2日目はですね、まずホテルのレストランで朝食を喰いました。
ホテルの朝メシはですね、何とまぁバイキング形式になってるんですね~。
色々と種類があって目移りしちゃいました。
食べる量はちょいと多かったですが、朝の食事の量と品はいつも大体こんな感じでしたね。

 そして、食事を済ませた後はホテルを出て、西安のシンボルとも言える"鐘楼""鼓楼"です。
その名の通り、そこにはそれぞれ大きな鐘と太鼓があるんですよ。

何というか…歴史を感じさせますね。
そこの頂上から見下ろす街の景色が何とも言えず良い眺めでした。
鐘楼の中では、楽器演奏もあって、中々よかったですよ。

ちなみに外は暑くて、日光もあったので、帽子が欠かせませんでしたね。


その後、街にある本屋へ行きました。
実はそこで、面白い本を見つけました。
その本は、児童書コーナーにあったんですよ。
内容も、至って普通のクイズとか小学生の問題なんですけど……。
そこの本の表紙の絵柄がですねぇ…。
わが国で名の知れた美少女キャラばかり!
東方シリーズやオーガスト、ダ・カーポのキャラとかがですね、そりゃもうギッシリと。
幼い子供には何のキャラかなんて分からないでしょうにwww
ってか、子供の教材に使いますかねぇ普通www

お昼はですねぇ、ちょっと変わったモノを食べましたね。

まぁまず最初に出たのは、この水餃子と野菜たっぷりの麺なんですが…。
それらの前に出たのが……。
この正体不明のパン生地の様なモノなんですよね。
相席だったお客さんの話では、まずこれを細かく―とにかく細かくチネるんだそうです。
その作業をやってる内に、黄金伝説のサバイバル生活で米作りをする濱口の姿が脳裏をよぎりましたねwww
そんなこんなで細か~くチネりまくった生地を店員に渡して、しばらくすると……。
こんなスープになって戻って来ました。
んで、早速食べてみますと……生地がすんごいモッチリしており、スープの味付けも申し分なし!
美味かったです!

そして、夕食はですね、陽光麗大劇院という所で唐代舞踊を見ながら食べました。

舞踊は色々なのをやってましたけど、どれも見事でしたね~。
因みに出た料理は…。
コラーゲンのありそうなスープに水&焼き餃子。
そして……。

色々な点心の入った蒸篭二つですね。
中身はそれぞれによって違うらしいです。
西安ダックだったり、餡子だったり、豚肉だったり……食用薔薇が入ってたり!
 いや、ホント中国の食文化って、色々ありますよね~www